客は偉くない

 現代社会で生きていると気づきにくいが、店などで買い物をする際、客は偉いわけではない。

 でも実際に店員は低姿勢なことが多いじゃないか。お金を払う方が偉いんじゃないの? と思う人もいるだろう。

 ところが『SHIROBAKO』というテレビアニメでこんな場面があった。アニメの制作会社の進行の人が、原画を描いてくれるアニメーターを探し、描いてくださいと頭を下げにいくというものだ。

 お金を払うのは制作会社の方で、アニメーターはお金をもらう方だ。つまり制作会社が客で、アニメーターは店にあたる。

 客が店に頭を下げるという事態が起きたわけだ。これを見ると「お金を払う方が偉い」というのは原則ではないことがわかる*1

*1: 『SHIROBAKO』はもちろんフィクションだが、アニメ業界の人がアニメ業界の内情をリアルに描いた作品なので、実際に起こりうる事態を描いていると思われる。フィクションではない例を挙げれば、大学や専門学校や塾では生徒が学費を払うのだから、生徒が客に当たる。しかし大抵の先生は生徒に対して偉ぶっている。病院も、金を払う患者が下手になっている。

商売とは何か

 店と客の取り引き、つまり商売とは何かというと、市場における「お金」と「モノ(物・サービス)」の交換だ。

 これは等価交換が基本だ。1000円のお金と、1000円の価値のあるモノを交換する。500円のお金と1000円のモノを交換することはないし、1000円のお金と500円のモノを交換することもない。

 なぜ等価交換かというのは、取り引きが元々は物々交換だったことを思い出せばわかる。魚を1匹持っている人は、その魚と釣り合うだけの量の麦と交換できる。同じ価値のものを交換しているのだから、どちらかが偉いということはない。

 お金というのは、取り引きを円滑に進めるために、物を代替するものだ。物がお金に置き換わっただけで、同じ価値のものを交換していることに変わりはない。

 客は1000円を払い、店は1000円のモノを提供する。対等な取り引きであり、どちらか一方が損失を被ることはないし、どちらか一方が裕福になることもない。

 「客あっての商売」なんて言い方もするが、客だって店がなければモノを買えなくなるので困る。お互いが必要としているから商売が成りたつ。

 では、対等なのに、なぜ店や『SHIROBAKO』の例のような立場の上下ができるのだろう。

取り引きで優位に立てるのはどちらか

 取り引きをする上でどちらが優位に立てるかというと、それが破談しても困らない方だ。

 客が店で買い物をする際、店員の態度が気に入らなければ他の店に行くようになる。店としてはそうなると困るから低姿勢になる。

 『SHIROBAKO』では原画を描いてくれる人が少なくて、断られるとアニメが完成しないから制作の人が低姿勢になった。それに対しアニメーターの方は、仕事がたくさんあるから1つくらい断っても生活に困らない。だから偉ぶれた。

 つまり相手に対して「取り引き相手の代わりなどいくらでもいる」と言える方が優位に立てる。

需要と供給で偉ぶるのは卑劣

 店の例では、競合店があった。『SHIROBAKO』の例では、仕事の量に対しアニメーターが少なかった。言い換えると、店の例では超過供給、『SHIROBAKO』の例では超過需要となる。つまり需要と供給の関係で上下関係が決まる。

 アダム・スミスは「見えざる手」によって需要と供給は均衡すると言ったが、それは大ざっぱな話だ。実際には多くの市場で需要と供給のバランスは崩れており、等価交換である筈の商品の売り買いでも、どちらか一方が優位に立つという事態が起きる。

 しかし需給関係は変動するものであり、いつか逆転する可能性がある。一時的な需給関係に基づいた優位性を笠に着て威張ると、しっぺ返しをくらう危険性がある。

 災害などで流通が途絶えて品不足になったときは、商品を売ってくれと客が店に頭を下げる事態が起きるだろう。仕事が多いからといって横柄な態度を取っているアニメーターは、仕事が減ったときに声をかけてもらえなくなるだろう。

 クレーマーと呼ばれる、偉そうな態度を取る客が嫌われる理由はこれだ。その人が築き上げた地位による優位性ではなく、状況によって逆転するような、かりそめの優位性を笠に着るから、みっともなく見える。

 別のいい方をすると、取り引きの一方が偉ぶるのは、相手の足元を見て(弱みにつけ込んで)都合のいい取り引きをしようとする行為であり、卑劣だ。

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 コンビニの店員は無愛想なことが多いが、店と客が対等だということを気づかせるためにも、そのままでいた方がいい。コンビニの店員の時給なんて最低賃金スレスレだから、愛想代(サービス代)なんて入っていないのは明らかだ。

 お金の問題じゃなくて心の問題だ、相手は人間なのだからどんな場合であれ愛想良くした方がいい、と言う人もいうだろう。そういう人は、自分が客として店を訪れたときに、店員に対して店員と同じくらい愛想良くしなくてはいけない。

需要と供給による上下関係の例

 需要と供給で上下関係が決まるのは、商売だけではない。

 会社の採用活動では、会社が目上で、応募者が目下という風潮がある。そのため圧迫面接などが起きる。しかし雇用とは、給与と労働力の等価交換であり、どちらが偉いということはない。経営者が偉いとされるのは裁量権があるということであり、人として偉いわけではない。

 なのに会社が目上とされるのは、応募者などいくらでもいるから、超過供給だからだ。圧迫面接などで応募者に嫌われても、その程度で会社の評価は下がらないから痛くもかゆくもない。

 バブル期のように超過需要になれば、会社が応募者の機嫌を取ることもあったらしい。

 そのように時期によって変化する「どちらが偉いか」に左右されるのは、実に近視眼的で浅はかだ。だからこういうことを理解している人は、需給関係で自分の方が有利であっても偉ぶらない。